ゾウ観光をめぐる議論では、旅行者にわかりやすい二項対立が示されることがあります。レスキューされたゾウか、搾取されているゾウか。サンクチュアリか、観光キャンプか。野生か、飼育下か。保護されているのか、人に利用されているのか。
こうした区別は理解しやすいものです。しかし、ゾウと、その世話をする人々の暮らしは、それほど単純ではありません。
マニファが「レスキュー」「サンクチュアリ」「再野生化」という言葉を慎重に使うのは、それらに価値がないと考えているからではありません。緊急の救助によって、目前の危険からゾウを救えることがあります。サンクチュアリが、より良い生活環境を提供することもあります。慎重に計画された再野生化が、保全に貢献する場合もあります。
問題は、こうした言葉が、それだけで正しさを保証するものとして扱われるときに始まります。ラベルそのものが良好な福祉の証明となり、ゾウが実際にどのような暮らしをしているのかが、二次的な問題になってしまうからです。
言葉は、苦しみに注意を向けさせることができます。その一方で、物語が語られた後に何が起きているのかを見えなくすることもあります。マホートやその家族、歴史のなかで育まれてきたケアの仕組みを、視野から消してしまうこともあります。
ゾウを守るために必要なのは、もっとも優しく聞こえるラベルを選ぶことではありません。一頭一頭のゾウ、それを取り巻く関係、そして日々の暮らしを注意深く見ることです。
ゾウをレスキューするとは、目前の危険や、深刻な害をもたらしている状況からゾウを救い出すことです。そのような状況では、介入が必要になることがあります。
しかし観光の世界では、「レスキューされた」という言葉が、ゾウや施設、さらには訪問者にまで付与される恒久的な肩書きになることがあります。当初の救助から長い時間が過ぎても、その言葉だけが使われ続け、ゾウの暮らしが具体的にどう変わったのかが説明されない場合もあります。
所有者が変わったという事実だけでは、ゾウの福祉が改善したかどうかはわかりません。以前より広い場所を歩き、自然な食べ物を探せるようになったのか。適切な食事、ほかのゾウとの交流、獣医療が確保されているのか。信頼していたマホートとの関係は維持されたのか、それとも重要な関係が突然断ち切られたのか。新たにどのような仕事、管理、行動の制限が加えられたのか。そして今後何十年にわたり、誰がそのゾウに責任を持つのか。
レスキューという物語は、こうした問いが検討される前に、被害者、加害者、救済者という役割を決めてしまうことがあります。ゾウの暮らしにマホートの知識と継続的なケアが欠かせない場合でも、そのマホートが「ゾウを救い出すべき相手」としてのみ描かれることがあります。訪問者も、特定の観光商品を選ぶことで、自分が救助に参加したかのように感じるよう促されます。
私たちは、ゾウの保護がこのような単純化された物語に依存することを望みません。レスキューとは、必要なときに行われる行為であり、その後の福祉と責任を継続的に検証することの代わりにはなりません。
「サンクチュアリ」という言葉は、本来、避難所や安全な場所を意味します。現在のゾウ観光では、騎乗を行わないこと、直接的な接触を制限すること、観察のみの体験などを意味する場合もあります。
こうした規則には、正当な配慮が含まれていることがあります。しかし「サンクチュアリ」という名称だけでは、そこでゾウがどのように暮らしているのかはわかりません。
同じ名称を使う施設でも、利用できる土地、運動量、食事、ほかのゾウとの関係、獣医療、スタッフの知識、長期的な経営の安定性には大きな違いがあります。観察のみのプログラムであっても、ゾウに豊かな生活を提供している場合もあれば、行動が制限された生活になっている場合もあります。同様に、人とゾウのあいだに管理された活動が存在することだけで、福祉が悪いと判断することはできません。
施設がゾウを守る場所になるかどうかを決めるのは、入口に掲げられた名称ではなく、そこで毎日何が行われているかです。
問うべきなのは、その施設がサンクチュアリを名乗っているかどうかだけではありません。ゾウが歩き、自然な食べ物を探し、休み、ほかのゾウと交流できるのか。一頭一頭の健康と行動が注意深く観察されているのか。日々のケアを担う人々に、必要な知識と資源があるのか。そしてゾウの反応が変化の必要性を示したとき、施設が実際にやり方を変えられるのかを見なければなりません。
再野生化が、特定のゾウ、個体群、地域に適している場合があります。十分な生息地、長期的な資金、科学的知識、関係機関の協力が確保されているなら、慎重に計画された放野は、保全上の価値を持ちえます。
しかし、再野生化とは、ゾウの暮らしから人間を単純に取り除くことではありません。
本格的な再野生化には、多くの人間の働きが必要です。マホート、追跡員、獣医師、森林警備員、研究者、行政機関などが、ゾウの準備、危険性の評価、移動の監視、問題への対応に関わります。人との直接的な接触を減らすことは、人間の責任が終わることを意味しません。
長年にわたって人のケアのもとで暮らしてきたゾウは、それぞれ異なる歴史を持っています。身につけてきた習慣、慣れ親しんだ関係、身体的な弱点、自力で生きる能力も一頭ごとに異なります。ゾウを「野生」と呼び直すだけで、こうした歴史が消えるわけではありません。放すことは責任の終点ではなく、人間との距離が広がることが、より良い暮らしの証明になるわけでもありません。
マニファでは、自律性とケアを相反するものとは考えていません。人との長期的なケアの関係を維持しながらも、ゾウは自ら選び、森を歩き、自然な食べ物を探し、ほかのゾウと交流し、周囲の環境に応じて行動することができます。問うべきなのは、人とゾウの関係をどこまで取り除けるかではありません。その関係を、一頭一頭のゾウに対して、より注意深く、節度を持ち、応答できるものにできるかどうかです。
人とゾウの関係が重要であると主張することは、受け継がれてきたすべての慣行が正しいと主張することではありません。
人とゾウの関係は対等ではありません。そこには愛情や協力がある一方で、管理、強制、衝突もありえます。マホートの知識が不完全なこともあります。経済的な圧力が、誤った判断につながることもあります。伝統を理由に、福祉についての検証を免れることはできません。
マニファにとって責任を持つとは、自分たちの実践を検証し、必要に応じて変える用意を持ち続けることです。一頭一頭のゾウがどのように反応しているかを観察し、明確な制限を設け、獣医療と科学的な知見を取り入れ、条件が適切でないときには活動を減らしたり中止したりすることです。
同時に、外部からの専門知識だけで、特定のゾウとの日々の暮らしのなかで生まれた知識を置き換えることはできません。獣医師、研究者、管理者、動物福祉団体には、それぞれ重要な役割があります。しかし責任あるケアのためには、マホートや地域社会の声に耳を傾け、制度上の計画に従わないゾウの反応からも学ばなければなりません。
関係を守るとは、すべてを変えずに残すことではありません。終わらせるべき慣行もあります。改善すべきものもあります。知識は受け継がれるだけでなく、問い直され、更新されなければなりません。生きた関係が続いていくのは、それが変わる力を持っているからです。
マニファでは、ゾウや活動にどのようなラベルを付けるべきかという問いから始めません。まず、一頭のゾウが実際にどのような暮らしをしているのかを見ます。
身体の健康、運動、自然な採食、休息、ほかのゾウとの交流、気質、年齢、個体の歴史を考慮します。ゾウの行動がきちんと見られているか、その反応によって人間側の判断を変えられるかを問い続けます。
マホートとゾウの関係も、ケアを支える重要な基盤として考えます。マホートの知識は、書面による基準、獣医療、継続的な観察とともに働きます。ひとつの知識が、ほかの知識を見えなくしてはなりません。
森もまた、こうした関係を構成する生きた存在として守ります。森は訪問者のための背景ではありません。ゾウの移動、食べ物、日陰、水、記憶、そして実践的な知識を支える場所です。
私たちの責任は長期にわたります。訪問者が帰ったとき、キャンペーンが終わったとき、施設に新しい名称が付けられたときに終わるものではありません。ゾウにはこれからも、食べ物、空間、医療、慣れ親しんだ人々、そしてその身に何が起きるかについて責任を負い続ける組織が必要です。
マニファを訪れるとき、私たちは、あなたがラオスや、ゾウとともに暮らし働いてきた人々からゾウを救い出すのだと想像するよう求めることはありません。
あなたは、すでに存在している世界に入ります。そこには、一頭一頭のゾウ、マホート、その家族、森、そして長い歴史があります。あなたの役割は、その物語の英雄になることでも、すべての慣行を無条件に肯定することでもありません。注意深く見て、責任がどのように担われているかを学び、謙虚さをもって関係のなかに入ることです。
私たちは、関係を取り除くことだけを唯一の保護の形として称賛するのではなく、より良い関係を認め、それを支えていただきたいと考えています。
関係を消し去らずにゾウを守るとは、簡単な道徳的近道を選ばないことです。人間がそこにいるかどうかだけでなく、人間が何をしているのか、何を知っているのか、どのような制限を受け入れているのか、そして結果に対する責任を引き受け続けているのかを問うことです。
搾取の反対が、常に分離であるとは限りません。節度、注意、知識、ケアによって、より良いものへと変えられた関係である場合もあります。
それが、マニファが目指す未来です。ゾウだけを切り離して守ることでも、人間の伝統を無条件に残すことでもありません。ゾウ、マホート、森がともに続いていきながら、それぞれの存在によって、その関係のあり方を変えていける未来です。
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論文「ゾウ中心主義の形成 ― ラオスの象観光と保全における倫理的再編成」
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